復活!
2009'07.01 (Wed)
皆様、ご無沙汰しております。asakosaruです。
ナツ、楽しんでますか?(日本の皆さん、梅雨明けてますか?)
空白の1ヶ月間、トルコの片隅で何をやらかしていたかと申しますと・・・、

トルコの甘酸っぱい初夏の味、キラズ(さくらんぼ)を週5日ペースで食べ続けて、腹を下したり。
合間にちょこっとDVD見たり。

とあるTV番組の撮影クルーのお手伝いに行き、カメと戯れたり。
合間にちょこちょこっとDVD見たり。

アスペンドスの古代劇場跡にて、オペラを鑑賞したり。
帰ってきてまた、ちょこちょこちょこっとDVD見たり。
というわけで、ほとんどDVD見まくってました。(日本のドラマは最高です!)
また、気まぐれペースで更新して参ります。カキ氷を頬張りながら、たまにのぞいて頂けたら本望。
←テンプレ模様替えしました。いかがでしょうか?
←気まぐれ更新にも関わらず、ポチして下さるあなた様は、きっと素敵な方に違いない。
ナツ、楽しんでますか?(日本の皆さん、梅雨明けてますか?)
空白の1ヶ月間、トルコの片隅で何をやらかしていたかと申しますと・・・、

トルコの甘酸っぱい初夏の味、キラズ(さくらんぼ)を週5日ペースで食べ続けて、腹を下したり。
合間にちょこっとDVD見たり。

とあるTV番組の撮影クルーのお手伝いに行き、カメと戯れたり。
合間にちょこちょこっとDVD見たり。

アスペンドスの古代劇場跡にて、オペラを鑑賞したり。
帰ってきてまた、ちょこちょこちょこっとDVD見たり。
というわけで、ほとんどDVD見まくってました。(日本のドラマは最高です!)
また、気まぐれペースで更新して参ります。カキ氷を頬張りながら、たまにのぞいて頂けたら本望。
←テンプレ模様替えしました。いかがでしょうか?古代リキアの遺跡を辿る。(まだまだ遺跡。)
2009'05.22 (Fri)
プチご無沙汰です。(最近DVD三昧。)
↓
★地中海沿岸から遺跡を眺めてみる週末(ペルゲ編)
★地中海沿岸から遺跡を眺めてみる週末(ケコワ島編)
とある週末(+1日)を利用して、遺跡を辿る週末。3日目は、古代リキア時代の遺跡を中心にご紹介します。ナビゲーターは、皆様ご存知の私・・・、

趣味・特技:遺跡で優雅にジャンプ。
アサコサルが、エレガントにお届けして参ります。
いつまでもピーターパンなアサコサルに、どなたか人生のナビゲートを!
(↑ウマイことゆうたねー。)
さて。

こじんまりとした、静かな地中海沿岸の町、カシュ。
カシュの古代名はアンティフェロス。その歴史は紀元前4世紀にまでさかのぼるが、この港町が重要視されるようになったのはヘレニズム時代になってからで、ローマ時代には木材や海綿の輸出で知られるようになった。
(トルコマニアより抜粋。)
山並みに沿ってたくさんのヴィラが建ち、昨今では、イギリス人やドイツ人を中心とした外国人居住者が増えつつあるものの、ロシア人があふれるケメルなどのリゾートに比べて、比較的静かな佇まいを見せる町、カシュ。
マリーナを散歩していると、面白い動物に出会いました。
(黒ヤギの次は白ヤギ?)
↓

自由奔放に放し飼い。
本物を、初めてこんなに近くで見た気がするなぁ・・・な、ペリカンです。夕暮れ時には、自由奔放に、スイスイーーと、水面のすぐ上をすべるように飛んでいました。
夕食後は再び、夜のカシュを徘徊です。



外国人客ターゲットっぽいお店が立ち並んでおります。
路地裏にある小さなジュエリーショップも、こじんまりとしたギリシャ風レストランも、一様にお洒落で可愛らしく、「トルコらしさ」は求められないものの、プチ海外旅行でもした気分になれることうけあいです。
(っつーか、「トルコに来てる時点ですでに海外旅行」、な読者様が大半ですか?)
翌朝、ホテルのバルコニーから、こんな風景に出会いました。


あー、ファンタスティック。
ところで。とっても近くに見えるこちらの島。

思わず泳いで行けそうな?(実際、行った輩がいるらしい。)
「Meis」というこちらの島は、実はギリシャ領。なので、トルコからこんなに近いにも関わらず、トルコ人は、ヴィザなしに島に上陸することができないわけです。ホテルの従業員曰く、「近くして、自分達のものではない島を毎朝見るのは、心底歯がゆい」のだとか。確かに近いな・・・。
さぁ、遅くならぬうち、遺跡に向けてカシュを出発!

島に沿って続く、海岸ルートからの風景は美しく、ドライブも超楽しい♪

途中、とっても美しいビーチを見かけました。
古代リキア人は、舗装のないこの道から、果たしてどんな気持ちで海を見つめていたのでしょうか・・・。
(柄にもなく、アサコサルを詩人にさせるこの風景。)
ここで一つ、リキアについて、知識の泉(またの名をWikipedia)をのぞいてみましょう。
↓
★リュキア(Wikipediaより)★
あー、なんか本当、これ以上博識になっちゃって、どうしよう。
(マジで読んだのか?)
では、すでに博識でいらっしゃる皆様に、リキアの主要都市のひとつ、クサントス遺跡をご覧にいれましょう。

リキアの文化と商業の中心地であり、リキア最大の都市と言われたクサントス。


リキア語の碑文が綴られている霊廟。ギリシャ語と英語のアルファベットが入り混じったような、不思議な言語。

ハーピーの墓と柱の墓。

ハーピーの墓の上部レリーフ。
クサントスには悲しい歴史もあります。古代ギリシャの歴史家、ヘロドトスが後に叙述したところによれば、紀元前540年にペルシャの将軍、ハバルグスの攻撃を受けた際、断固たる独立意識の強いリキアの人々は、女性や子供、奴隷、財宝などを焼き払って、集団自殺を図ったとされています。ペルシャ人の支配に屈するよりも、死を選んだその決断は、本能寺の変で自害した、織田信長を彷彿とさせ、遠きリキア遺跡で、日本の武士道に思いを馳せたのでした・・・。(なんのこっちゃ?)
紀元前5世紀に建てられたハーピーの墓のレリーフは、上半身は女性、下半身は鳥の格好をした、ギリシャ神話に登場する怪物、ハルピュイアを表すとされていましたが、最近になって、同じくギリシャ神話に登場する海の怪物、セイレーンが、殺された女性や子供達の魂を、天に運んでいるのを表している、との見解もあるそうです。ちなみに、レリーフのオリジナルは、大英博物館に所蔵されており、クサントス遺跡にあるのはコピーだそう。
(以上、★トルコマニア・クサントス/★Wikipedia・クサントスより抜粋。)
さらに、クサントスからほど近いレトゥーン遺跡まで足を伸ばしました。
★ちなみに、世界遺産には、「クサントス・レトゥーン遺跡」として認定されているようです。
そんな、遺跡マニア心をくすぐるレトゥーン遺跡ですが、サルコンビ、焼けるような暑さに心がくすぐられるどころか、折れてしまい、(へたれですのでー)写真1枚、そそくさと撮って断念。

とりあえず、爪あとだけは残したい1枚。
さらにさらに、リキア時代に貿易都市として栄えた、パタラ遺跡も訪問。この遺跡は、平原にゴロゴロと転がる遺跡以上に、12kmにも及ぶ、トルコで最長と言われているパタラビーチが人気。

なんだか、寂しげな写真になってしまいましたが・・・。
実はこちら、ギリシャや地中海沿岸にしか生息していないCaretta Caretta(カレッタカレッタ。ラテン語でアカウミガメのこと)の産卵地として有名で、ビーチの入り口には、こんな看板も立てられていました。

「8:00〜19:00の間は、私達のビーチですが、19:00〜8:00の間は、私達の亀さんが使用しますよー。」

「悪いねー。どーもどーも。」
盛りだくさんの本日、最後の訪問地となりました。

渓谷の長さは、トルコで最長、ヨーロッパで2番目の20kmにも及ぶ、サクルケント渓谷。
それでは、勝手にお世話になりまくりのサイト、トルコマニアより、再び引用。
4月以降にはトロス山の雪解け水はこの渓谷を通り、クサントス川に流れ出る。歩けるのは最初の4キロほどで、雪解け水が減り始める4月以降沢登りができる。沢登りにあまり関心がない人でも、渓谷を150m登ったところに軽食が取れるところがあるので、ここで涼むのもいい。サクルケント渓谷は4月から9月まで入場できる。水流が早く夏でも水位が高いところもあるので、沢登りの際は濡れてもいい服と靴が必要。渓谷の入口でレンタル用ゴム靴があるが、あまり快適ではないのでサンダルなどを用意しておくとよい。

履いてたのは、サルコンビだけでした。見た目おばちゃん靴。確かに快適度低め。
っつーか、押すとこそこー?
いいえ。プッシュしたいのは、渓谷の大自然です!

きちんと歩道ができています。

「ムンクの叫び」の背景みたくなってる。

空気吸ってるだけでデトックス。

いいアイデアなのに、誰もおらず・・・。
「地中海沿岸から遺跡を眺めてみる週末シリーズ」、これにてFin。ありがとうございました。
(とある週末旅行を書くのに、1ヶ月かけてみる女、アサコサル。)
←書いてる間に、また週末旅行。(集中力がありません。)
←いつもありがとうございます。
↓
★地中海沿岸から遺跡を眺めてみる週末(ペルゲ編)
★地中海沿岸から遺跡を眺めてみる週末(ケコワ島編)
とある週末(+1日)を利用して、遺跡を辿る週末。3日目は、古代リキア時代の遺跡を中心にご紹介します。ナビゲーターは、皆様ご存知の私・・・、

趣味・特技:遺跡で優雅にジャンプ。
アサコサルが、エレガントにお届けして参ります。
いつまでもピーターパンなアサコサルに、どなたか人生のナビゲートを!
(↑ウマイことゆうたねー。)
さて。

こじんまりとした、静かな地中海沿岸の町、カシュ。
カシュの古代名はアンティフェロス。その歴史は紀元前4世紀にまでさかのぼるが、この港町が重要視されるようになったのはヘレニズム時代になってからで、ローマ時代には木材や海綿の輸出で知られるようになった。
(トルコマニアより抜粋。)
山並みに沿ってたくさんのヴィラが建ち、昨今では、イギリス人やドイツ人を中心とした外国人居住者が増えつつあるものの、ロシア人があふれるケメルなどのリゾートに比べて、比較的静かな佇まいを見せる町、カシュ。
マリーナを散歩していると、面白い動物に出会いました。
(黒ヤギの次は白ヤギ?)
↓

自由奔放に放し飼い。
本物を、初めてこんなに近くで見た気がするなぁ・・・な、ペリカンです。夕暮れ時には、自由奔放に、スイスイーーと、水面のすぐ上をすべるように飛んでいました。
夕食後は再び、夜のカシュを徘徊です。



外国人客ターゲットっぽいお店が立ち並んでおります。
路地裏にある小さなジュエリーショップも、こじんまりとしたギリシャ風レストランも、一様にお洒落で可愛らしく、「トルコらしさ」は求められないものの、プチ海外旅行でもした気分になれることうけあいです。
(っつーか、「トルコに来てる時点ですでに海外旅行」、な読者様が大半ですか?)
翌朝、ホテルのバルコニーから、こんな風景に出会いました。


あー、ファンタスティック。
ところで。とっても近くに見えるこちらの島。

思わず泳いで行けそうな?(実際、行った輩がいるらしい。)
「Meis」というこちらの島は、実はギリシャ領。なので、トルコからこんなに近いにも関わらず、トルコ人は、ヴィザなしに島に上陸することができないわけです。ホテルの従業員曰く、「近くして、自分達のものではない島を毎朝見るのは、心底歯がゆい」のだとか。確かに近いな・・・。
さぁ、遅くならぬうち、遺跡に向けてカシュを出発!

島に沿って続く、海岸ルートからの風景は美しく、ドライブも超楽しい♪

途中、とっても美しいビーチを見かけました。
古代リキア人は、舗装のないこの道から、果たしてどんな気持ちで海を見つめていたのでしょうか・・・。
(柄にもなく、アサコサルを詩人にさせるこの風景。)
ここで一つ、リキアについて、知識の泉(またの名をWikipedia)をのぞいてみましょう。
↓
★リュキア(Wikipediaより)★
あー、なんか本当、これ以上博識になっちゃって、どうしよう。
(マジで読んだのか?)
では、すでに博識でいらっしゃる皆様に、リキアの主要都市のひとつ、クサントス遺跡をご覧にいれましょう。

リキアの文化と商業の中心地であり、リキア最大の都市と言われたクサントス。


リキア語の碑文が綴られている霊廟。ギリシャ語と英語のアルファベットが入り混じったような、不思議な言語。

ハーピーの墓と柱の墓。

ハーピーの墓の上部レリーフ。
クサントスには悲しい歴史もあります。古代ギリシャの歴史家、ヘロドトスが後に叙述したところによれば、紀元前540年にペルシャの将軍、ハバルグスの攻撃を受けた際、断固たる独立意識の強いリキアの人々は、女性や子供、奴隷、財宝などを焼き払って、集団自殺を図ったとされています。ペルシャ人の支配に屈するよりも、死を選んだその決断は、本能寺の変で自害した、織田信長を彷彿とさせ、遠きリキア遺跡で、日本の武士道に思いを馳せたのでした・・・。(なんのこっちゃ?)
紀元前5世紀に建てられたハーピーの墓のレリーフは、上半身は女性、下半身は鳥の格好をした、ギリシャ神話に登場する怪物、ハルピュイアを表すとされていましたが、最近になって、同じくギリシャ神話に登場する海の怪物、セイレーンが、殺された女性や子供達の魂を、天に運んでいるのを表している、との見解もあるそうです。ちなみに、レリーフのオリジナルは、大英博物館に所蔵されており、クサントス遺跡にあるのはコピーだそう。
(以上、★トルコマニア・クサントス/★Wikipedia・クサントスより抜粋。)
さらに、クサントスからほど近いレトゥーン遺跡まで足を伸ばしました。
★ちなみに、世界遺産には、「クサントス・レトゥーン遺跡」として認定されているようです。
そんな、遺跡マニア心をくすぐるレトゥーン遺跡ですが、サルコンビ、焼けるような暑さに心がくすぐられるどころか、折れてしまい、(へたれですのでー)写真1枚、そそくさと撮って断念。

とりあえず、爪あとだけは残したい1枚。
さらにさらに、リキア時代に貿易都市として栄えた、パタラ遺跡も訪問。この遺跡は、平原にゴロゴロと転がる遺跡以上に、12kmにも及ぶ、トルコで最長と言われているパタラビーチが人気。

なんだか、寂しげな写真になってしまいましたが・・・。
実はこちら、ギリシャや地中海沿岸にしか生息していないCaretta Caretta(カレッタカレッタ。ラテン語でアカウミガメのこと)の産卵地として有名で、ビーチの入り口には、こんな看板も立てられていました。

「8:00〜19:00の間は、私達のビーチですが、19:00〜8:00の間は、私達の亀さんが使用しますよー。」

「悪いねー。どーもどーも。」
盛りだくさんの本日、最後の訪問地となりました。

渓谷の長さは、トルコで最長、ヨーロッパで2番目の20kmにも及ぶ、サクルケント渓谷。
それでは、勝手にお世話になりまくりのサイト、トルコマニアより、再び引用。
4月以降にはトロス山の雪解け水はこの渓谷を通り、クサントス川に流れ出る。歩けるのは最初の4キロほどで、雪解け水が減り始める4月以降沢登りができる。沢登りにあまり関心がない人でも、渓谷を150m登ったところに軽食が取れるところがあるので、ここで涼むのもいい。サクルケント渓谷は4月から9月まで入場できる。水流が早く夏でも水位が高いところもあるので、沢登りの際は濡れてもいい服と靴が必要。渓谷の入口でレンタル用ゴム靴があるが、あまり快適ではないのでサンダルなどを用意しておくとよい。

履いてたのは、サルコンビだけでした。見た目おばちゃん靴。確かに快適度低め。
っつーか、押すとこそこー?
いいえ。プッシュしたいのは、渓谷の大自然です!

きちんと歩道ができています。

「ムンクの叫び」の背景みたくなってる。

空気吸ってるだけでデトックス。

いいアイデアなのに、誰もおらず・・・。
「地中海沿岸から遺跡を眺めてみる週末シリーズ」、これにてFin。ありがとうございました。
(とある週末旅行を書くのに、1ヶ月かけてみる女、アサコサル。)
←書いてる間に、また週末旅行。(集中力がありません。)地中海沿岸から遺跡を眺めてみる週末(ケコワ島編)
2009'05.12 (Tue)
イヤっと言うほど遺跡を堪能。(1日目)
↓
ペルゲ遺跡編

都会の喧騒に疲れたあなたに、マイナスイオンな画像をどうぞ。
本日は、アンタルヤから地中海沿岸ルートをたどること約2時間半、「ケコワ島」周辺のターコイズブルーな地中海の風景へと、皆様を誘います。
「Kekova(ケコワ)島」は、南トルコの町・カシュから東へ20kmほどのところにあり、周辺には、古代リキア国の都市、Simena(スィメナ)が存在していました。見どころは、紀元2世紀に起きた地震により水没した都市の水中遺跡。
また、スィメナの現在の呼称は「カレキョイ」といい、ビザンティン時代の城跡から、美しい眺めも堪能できます。
ケコワ島へのアクセスは、カシュ、デムレといった周辺の町からのボートツアーなども人気ですが、今回は、ウチャウズという村まで車で行き、そこから1時間ほどのボートツアーに参加してきました。
ウチャウズまでのルートは、切り立った崖の上を、ソロソロと車で進んでいくような道からスタート。しかも、楽しい出会いのオプション付きで。

ゾロゾロと出てきました。

ここではどっちかっつーと、車の方が肩身が狭いです。

ちっちゃい子もがんばってます。
遺跡と戯れるはずが、黒ヤギと戯れてしまいました。
さらにソロソロと進むこと30分・・・。

ウチャウズ村のボート乗り場に到着。
さて。ここからがアサコサルの真骨頂。トルコ在住5年で唯一、「為になること身についたなぁ・・・」と思える習慣。それこそ!
「ザ・値切り交渉。」
(個人で行かれる皆様は、ぜひお試しください。)
パートナーがトルコ人でも、外国人と見るや、大抵高値をふっかけてくるので、言われたままの値段で頷くことなかれ。トルコ語力なんぞ関係ないのです。パワーで押し切れ!
で、クマと二人で押し切った結果、カレキョイ(城跡のある所)ストップありで、大人2名で40リラ(言われ値は100リラ)になりました。
(まだ高い?)
ま、ともかくありがとう、アムジャ(おじちゃん)。

では、出発!

気分爽快ーーーーーー!(←10分経過)

生きてて良かったーーーーーー!(←15分経過)

船の上に寝転んで、語りだす。(←30代の青春。)
それよりも。

古代リキア人の墓跡。(写真が小さくて、石ころにしか見えない件につきましては、ごめんあそばせ。)
島に近づくと、船もゆーーっくりと進んでいきます。



「水中遺跡」としては、長年、海水に晒された影響か侵食が激しく、はっきりとしたものは見えなかったものの、ターコイズブルーの海の美しさは堪能できます。
ウチャウズを出てから30分ほどで、カレキョイ(スィメナ)が見えてきました。


いざ上陸!
城跡までは、5、6分という近さです。階段をのぼっていくと、小さな土産物屋や、カフェなどもちらほら見えてきます。
そんなこんなで、城跡に到着です。

なんかもう、相当崩れてますが・・・(汗)。
しかし、ここからの眺めは清々しい・・・。


城のてっぺんまで、道なき道を進めず。(何気に高所恐怖症。)なのに、携帯片手に下ってきた、この男が憎い。

やっぱ苗字に「サル」がつくだけのlことはあります。(関係なかろう。)
遺跡というよりも、燦々と注ぐ太陽と海を堪能したケコワ島の旅。
次はさらに西へ、カシュへと向かいます。今晩はカシュで宿泊です。

カシュへと下る道から、こんな神々しい風景に出会えました。
次回は古代リキアの遺跡(クサントス、レトゥーン)&サクルケント渓谷をご案内。
←トルコって広いなぁ・・・。
←地中海って碧いなぁ・・・。
↓
ペルゲ遺跡編

都会の喧騒に疲れたあなたに、マイナスイオンな画像をどうぞ。
本日は、アンタルヤから地中海沿岸ルートをたどること約2時間半、「ケコワ島」周辺のターコイズブルーな地中海の風景へと、皆様を誘います。
「Kekova(ケコワ)島」は、南トルコの町・カシュから東へ20kmほどのところにあり、周辺には、古代リキア国の都市、Simena(スィメナ)が存在していました。見どころは、紀元2世紀に起きた地震により水没した都市の水中遺跡。
また、スィメナの現在の呼称は「カレキョイ」といい、ビザンティン時代の城跡から、美しい眺めも堪能できます。
ケコワ島へのアクセスは、カシュ、デムレといった周辺の町からのボートツアーなども人気ですが、今回は、ウチャウズという村まで車で行き、そこから1時間ほどのボートツアーに参加してきました。
ウチャウズまでのルートは、切り立った崖の上を、ソロソロと車で進んでいくような道からスタート。しかも、楽しい出会いのオプション付きで。

ゾロゾロと出てきました。

ここではどっちかっつーと、車の方が肩身が狭いです。

ちっちゃい子もがんばってます。
遺跡と戯れるはずが、黒ヤギと戯れてしまいました。
さらにソロソロと進むこと30分・・・。

ウチャウズ村のボート乗り場に到着。
さて。ここからがアサコサルの真骨頂。トルコ在住5年で唯一、「為になること身についたなぁ・・・」と思える習慣。それこそ!
「ザ・値切り交渉。」
(個人で行かれる皆様は、ぜひお試しください。)
パートナーがトルコ人でも、外国人と見るや、大抵高値をふっかけてくるので、言われたままの値段で頷くことなかれ。トルコ語力なんぞ関係ないのです。パワーで押し切れ!
で、クマと二人で押し切った結果、カレキョイ(城跡のある所)ストップありで、大人2名で40リラ(言われ値は100リラ)になりました。
(まだ高い?)
ま、ともかくありがとう、アムジャ(おじちゃん)。

では、出発!

気分爽快ーーーーーー!(←10分経過)

生きてて良かったーーーーーー!(←15分経過)

船の上に寝転んで、語りだす。(←30代の青春。)
それよりも。

古代リキア人の墓跡。(写真が小さくて、石ころにしか見えない件につきましては、ごめんあそばせ。)
島に近づくと、船もゆーーっくりと進んでいきます。



「水中遺跡」としては、長年、海水に晒された影響か侵食が激しく、はっきりとしたものは見えなかったものの、ターコイズブルーの海の美しさは堪能できます。
ウチャウズを出てから30分ほどで、カレキョイ(スィメナ)が見えてきました。


いざ上陸!
城跡までは、5、6分という近さです。階段をのぼっていくと、小さな土産物屋や、カフェなどもちらほら見えてきます。
そんなこんなで、城跡に到着です。

なんかもう、相当崩れてますが・・・(汗)。
しかし、ここからの眺めは清々しい・・・。


城のてっぺんまで、道なき道を進めず。(何気に高所恐怖症。)なのに、携帯片手に下ってきた、この男が憎い。

やっぱ苗字に「サル」がつくだけのlことはあります。(関係なかろう。)
遺跡というよりも、燦々と注ぐ太陽と海を堪能したケコワ島の旅。
次はさらに西へ、カシュへと向かいます。今晩はカシュで宿泊です。

カシュへと下る道から、こんな神々しい風景に出会えました。
次回は古代リキアの遺跡(クサントス、レトゥーン)&サクルケント渓谷をご案内。
←トルコって広いなぁ・・・。地中海沿岸から遺跡を眺めてみる週末(ペルゲ編)
2009'05.06 (Wed)
ひと月ほど前、アンタルヤの若さはじける素敵なデートコースをご紹介させて頂きましたが、
「ボーリングはちょっと・・・。」
「ゴーカートはちょっと・・・。」
というあなた、そして、「存分に遺跡とあいまみれたい」という遺跡ファンの皆様に朗報です!
歴史書を紐解くこと紀元前の・・・
地中海沿岸で栄華を誇った古代都市に思いを馳せつつ・・・
「週末は遺跡と戯れよう!」
という事で・・・、

1日目は、アンタルヤから東に15kmほどの所にある「Perge(ペルゲ)遺跡」をご紹介します。
******************************************************

ペルゲの正門。
紀元前12世紀に、北アナトリアから移住してきたギリシャ人によって建設されたと言われているペルゲは、ローマ帝国時代に栄えた植民地、Pamphylia(パムフィリア=部族の地を意味する)の都市。古代では「ペルガ」と呼ばれていたそう。
パムフィリアは、ヒッタイト帝国(王国)に属し、やがてその主要都市として、ペルゲ、アスペンドス、スィデなどが発展するようになります。
スィデやペルゲなどの貿易港を携えるパムフィリアは、紀元前7世紀頃には、ギリシャ人との貿易を軸に発展しますが、紀元前546年のペルシア人による支配に続き、紀元前333年には、アレキサンダー大王によって支配されました。
紀元前188年にローマ帝国領となり、現在残る遺跡のほとんどが、この時代からのものだそうです。
(★参考:Perga-Wikipedia / Livius-Pamphylia)
なるほど・・・。
それでは、どちら様もご用意よろしいでしょうか?

以降、このような衣装の気分でお楽しみ下さいませ。

大分崩れてしまってますが、ペルゲのシンボル的存在のヘレニズム・ゲート。
ヘレニズムゲートを右方向に進むと・・・、

町の中心部、アゴラ(広場)。

アゴラにあった石には、くっきりとした紋様が残されていました。

アゴラの周辺には、商店の跡が。何を売っていたのでしょうねー。

イオニア式の柱が立ち並びます。
ちなみに、イオニア式柱とは?

柱頭の左右に、写真のような渦巻状の紋様がつくのが、特徴とされているようです。一部だけど、くっきり残ってます。
ヘレニズムゲートを背に、まっすぐアクロポリスの丘に向かってのびているのは・・・、

メインストリートと・・・、

道の中心には水路が通っていました。
ちなみに、メインストリートには、お土産を売っている人達がちらほら・・・。村からやってきた風なトルコ人達です。

丘に向かって、売れ残りをかついで帰路につくキョイル(村出)のおばちゃん。藪をかきわけて消えていったおばちゃんもいましたが、一体どこに帰っていったのか・・・。
丘の麓までやってきました。

川の女神を祀った水源を作り、そこからメインストリートの水路に、市民の生活用水を流していたようです。しかし女神のく、首が・・・!
※女神様の首は、アンタルヤ市内の考古学博物館に展示されているそうです。
ヘレニズムゲートの左方向には・・・、

南のローマ浴場跡。(北にもあるようですが、見逃しました。)
それにしても、ローマ時代の遺跡には必ずといっていいほど、古代劇場跡、そして浴場があります。ローマ人は、エンタメ&お風呂好きだったのでしょうか・・。
「今日はゆっくり湯船にでも浸かりたいな・・・。」
と考えつつ、帰路についたアサコサルなのでしたー。
(「家にシャワーしかないんだったっけ・・・。」と、現実に打ちひしがれながら、帰路についたアサコサルなのでしたー。)
1日目、完。
→地中海沿岸を西へ西へ、遺跡を求める旅、次回へ続きますよ。
←完全に遅れてきたガングロです。(かっこよく言えば、地中海焼け。)
←柄にもなく、歴史を一生懸命勉強してみたasakosaruに愛の手を。
「ボーリングはちょっと・・・。」
「ゴーカートはちょっと・・・。」
というあなた、そして、「存分に遺跡とあいまみれたい」という遺跡ファンの皆様に朗報です!
歴史書を紐解くこと紀元前の・・・
地中海沿岸で栄華を誇った古代都市に思いを馳せつつ・・・
「週末は遺跡と戯れよう!」
という事で・・・、

1日目は、アンタルヤから東に15kmほどの所にある「Perge(ペルゲ)遺跡」をご紹介します。
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ペルゲの正門。
紀元前12世紀に、北アナトリアから移住してきたギリシャ人によって建設されたと言われているペルゲは、ローマ帝国時代に栄えた植民地、Pamphylia(パムフィリア=部族の地を意味する)の都市。古代では「ペルガ」と呼ばれていたそう。
パムフィリアは、ヒッタイト帝国(王国)に属し、やがてその主要都市として、ペルゲ、アスペンドス、スィデなどが発展するようになります。
スィデやペルゲなどの貿易港を携えるパムフィリアは、紀元前7世紀頃には、ギリシャ人との貿易を軸に発展しますが、紀元前546年のペルシア人による支配に続き、紀元前333年には、アレキサンダー大王によって支配されました。
紀元前188年にローマ帝国領となり、現在残る遺跡のほとんどが、この時代からのものだそうです。
(★参考:Perga-Wikipedia / Livius-Pamphylia)
なるほど・・・。
それでは、どちら様もご用意よろしいでしょうか?

以降、このような衣装の気分でお楽しみ下さいませ。

大分崩れてしまってますが、ペルゲのシンボル的存在のヘレニズム・ゲート。
ヘレニズムゲートを右方向に進むと・・・、

町の中心部、アゴラ(広場)。

アゴラにあった石には、くっきりとした紋様が残されていました。

アゴラの周辺には、商店の跡が。何を売っていたのでしょうねー。

イオニア式の柱が立ち並びます。
ちなみに、イオニア式柱とは?

柱頭の左右に、写真のような渦巻状の紋様がつくのが、特徴とされているようです。一部だけど、くっきり残ってます。
ヘレニズムゲートを背に、まっすぐアクロポリスの丘に向かってのびているのは・・・、

メインストリートと・・・、

道の中心には水路が通っていました。
ちなみに、メインストリートには、お土産を売っている人達がちらほら・・・。村からやってきた風なトルコ人達です。

丘に向かって、売れ残りをかついで帰路につくキョイル(村出)のおばちゃん。藪をかきわけて消えていったおばちゃんもいましたが、一体どこに帰っていったのか・・・。
丘の麓までやってきました。

川の女神を祀った水源を作り、そこからメインストリートの水路に、市民の生活用水を流していたようです。しかし女神のく、首が・・・!
※女神様の首は、アンタルヤ市内の考古学博物館に展示されているそうです。
ヘレニズムゲートの左方向には・・・、

南のローマ浴場跡。(北にもあるようですが、見逃しました。)
それにしても、ローマ時代の遺跡には必ずといっていいほど、古代劇場跡、そして浴場があります。ローマ人は、エンタメ&お風呂好きだったのでしょうか・・。
「今日はゆっくり湯船にでも浸かりたいな・・・。」
と考えつつ、帰路についたアサコサルなのでしたー。
(「家にシャワーしかないんだったっけ・・・。」と、現実に打ちひしがれながら、帰路についたアサコサルなのでしたー。)
1日目、完。
→地中海沿岸を西へ西へ、遺跡を求める旅、次回へ続きますよ。
←完全に遅れてきたガングロです。(かっこよく言えば、地中海焼け。)行ったつもりで書く日記(ドバイ編)
2009'04.30 (Thu)
もうすっかり自分が行った気で綴る日記シリーズ!
↓
★イラン編
★インド・前編
★インド・後編
※クマ(ダンナ)が行っておりますので、綴られている内容は、嘘偽りのない、完璧なノンフィクションです。
書いてるうちに、「マジで行ってなかったっけ?」と、錯覚すら起こしつつあるasakosaruがお届けしております、「行ったつもりシリーズ」。第3弾は、砂漠に出現した魅惑の都市、ドバイです。

中東のメトロポリス、ドバイ。
漁業や真珠の輸出を産業の主とする小さな漁村だったこの地に、アブダビの首長ナヒヤーン家と同じバニー=ヤース部族のマクトゥーム家が、1830年代にアブダビから移住。これに伴ってドバイ首長国が建国され、ここに今に至るドバイの歴史が始まりの時を迎えた。1853年に他の首長国と同時に英国の保護国となる。
(Wikipediaより参照。)
20世紀に入り、周辺地域との自由貿易政策により、中継貿易港としての発展を遂げるドバイは、1966年の海底油田の発見により、近代化がより一層推進されることとなります。
しかし1970年代以降、原油依存経済からの脱却への取り組みと共に、産業の多角化を進め、国外資本や外国企業の進出を受け、後、数十年あまりの期間に、現在のようなメトロポリスへと発展を遂げたドバイ。

「中東のシンガポール」と呼ばれることもあるそうです。

現在建設中のブルジュ・ドバイ。人類史上、最も高い建造物となっているそうです。
内装はジョルジオ・アルマーニが担当し、1-37階はアルマーニホテルが占めるそうで、アルマーニってホテルもやっとるの?と、一人「へぇ」を連発するアサコサル。平民の名を欲しいがままにして3○年。
ところで。
ドバイの住民の90%は外国人。インドやパキスタンなど、南アジアからの出稼ぎ労働者が、そのほとんどを占めているそうです。
インドと言えば、2月に初めてその地を訪れ、その文化にえらく影響を受けた男、クマ。ドバイでもチャンスは逃しません。

ホテルでパーティーに参加していた可愛らしいインド人の二人。(インドの文化とか関係ないけど。)
人口の1、2割を占める首長国出身のアラブ人には、政府から補助金なども支給されているのだとか。とにかく、桁違いにリッチなのだそうです。

クマの働く企業が参加したビジネスフェアに来ていたアラブ人の皆様。風格があります。

ビジネスシーンもエキゾティックです。
街中ショットに戻ります。

青空に向かって伸びるミナーレ(尖塔)が美しいモスク(イスラム教寺院)。

海上に作られた人工島に位置する、★7つの最高級ホテル、ブルジュ・アル・アラブ。

都会ですねー。
あー、もうすっかりドバイ上陸を果たした気分です。(脳内で。)
いや、実を言えば、上陸したことあるんですけども。(空港に。)
いつか出たいな、空港の外へ!(乗り継ぎ専門。)
<本日のおまけ>

ドバイ在住のトルコ人コラムニスト、アイシェ・アルマンさんと、偶然同機に乗り合わせたクマ。酔っ払いついでに、「写真撮ってもいいですか?」とぶしつけなお願いをしたにも関わらず、「ならば一緒に撮りましょうか?」と快く記念撮影に応じてくれたそうです。これからはちゃんと読みますね!ヒュリエット紙。
←行ったつもり、3カ国目。(イラン、インドに続きまして。)
←あなたの清きひとポチをよろしくお願い致します。
↓
★イラン編
★インド・前編
★インド・後編
※クマ(ダンナ)が行っておりますので、綴られている内容は、嘘偽りのない、完璧なノンフィクションです。
書いてるうちに、「マジで行ってなかったっけ?」と、錯覚すら起こしつつあるasakosaruがお届けしております、「行ったつもりシリーズ」。第3弾は、砂漠に出現した魅惑の都市、ドバイです。

中東のメトロポリス、ドバイ。
漁業や真珠の輸出を産業の主とする小さな漁村だったこの地に、アブダビの首長ナヒヤーン家と同じバニー=ヤース部族のマクトゥーム家が、1830年代にアブダビから移住。これに伴ってドバイ首長国が建国され、ここに今に至るドバイの歴史が始まりの時を迎えた。1853年に他の首長国と同時に英国の保護国となる。
(Wikipediaより参照。)
20世紀に入り、周辺地域との自由貿易政策により、中継貿易港としての発展を遂げるドバイは、1966年の海底油田の発見により、近代化がより一層推進されることとなります。
しかし1970年代以降、原油依存経済からの脱却への取り組みと共に、産業の多角化を進め、国外資本や外国企業の進出を受け、後、数十年あまりの期間に、現在のようなメトロポリスへと発展を遂げたドバイ。

「中東のシンガポール」と呼ばれることもあるそうです。

現在建設中のブルジュ・ドバイ。人類史上、最も高い建造物となっているそうです。
内装はジョルジオ・アルマーニが担当し、1-37階はアルマーニホテルが占めるそうで、アルマーニってホテルもやっとるの?と、一人「へぇ」を連発するアサコサル。平民の名を欲しいがままにして3○年。
ところで。
ドバイの住民の90%は外国人。インドやパキスタンなど、南アジアからの出稼ぎ労働者が、そのほとんどを占めているそうです。
インドと言えば、2月に初めてその地を訪れ、その文化にえらく影響を受けた男、クマ。ドバイでもチャンスは逃しません。

ホテルでパーティーに参加していた可愛らしいインド人の二人。(インドの文化とか関係ないけど。)
人口の1、2割を占める首長国出身のアラブ人には、政府から補助金なども支給されているのだとか。とにかく、桁違いにリッチなのだそうです。

クマの働く企業が参加したビジネスフェアに来ていたアラブ人の皆様。風格があります。

ビジネスシーンもエキゾティックです。
街中ショットに戻ります。

青空に向かって伸びるミナーレ(尖塔)が美しいモスク(イスラム教寺院)。

海上に作られた人工島に位置する、★7つの最高級ホテル、ブルジュ・アル・アラブ。

都会ですねー。
あー、もうすっかりドバイ上陸を果たした気分です。(脳内で。)
いや、実を言えば、上陸したことあるんですけども。(空港に。)
いつか出たいな、空港の外へ!(乗り継ぎ専門。)
<本日のおまけ>

ドバイ在住のトルコ人コラムニスト、アイシェ・アルマンさんと、偶然同機に乗り合わせたクマ。酔っ払いついでに、「写真撮ってもいいですか?」とぶしつけなお願いをしたにも関わらず、「ならば一緒に撮りましょうか?」と快く記念撮影に応じてくれたそうです。これからはちゃんと読みますね!ヒュリエット紙。
←行ったつもり、3カ国目。(イラン、インドに続きまして。)



